社会はつくるものか、つくられるものか
トランプ氏が大統領になられましたね。
これからのアメリカ、世界がどうなっていくのか気になるところではありますが、それを考えるときにひとつ思うことがあります。
それは
「社会はつくるものか、つくられるものか」
ということ
これから世界がどうなっていくのか
と、なにげなく書きましたが、これは「社会はつくられるもの」と捉えている視点だと思います。
「自分の行動が社会をつくっている」
という視点と
「社会はまわりの人々の行動によりつくられている」
という視点
僕はどちらの視点も持つべきだと思います。
自分ひとりだけで社会は変えられるものではないけど、かといって自分ひとりの行動がなければ変わらないこともある。
なんてことは、日々の中でもよくあること。
今年に入って以来、ポピュリズムという言葉を僕はよく見るようになりました。
この言葉をよく見るということは、多くのひとが本当の意味で「社会をつくる」動きをしているのではなく、乗っかりやすい流れに身を任せて「社会がつくられる」のを待っているということを表しているように思えます。
つまり
「自分の行動が社会をつくっている」
という視点よりも
「社会はまわりの人々の行動によりつくられている」
という視点の方が定着してしまっているのではないかということ
いまの社会に対して不満がある、自分の生活がもっと良くなればいいと思っているひとは少なからずいるでしょう。
いまの社会、世界はなんだか変だと思うひとも多い気がします。
そのような実感があっても、なにか打開していくような行動をできずにいるという現状
その現状を少しでもなんとかできないかという人々の思いからポピュリズムがじわじわと広がったという面もあるように思います。
不勉強なもので、違ったことを書いているかもしれませんが。笑
なにが言いたいのかというと
自分たちが社会をつくっていくという意識を持つことは、いま特に必要とされているのではないかということ
「社会をつくる」
言葉だけを見ると大げさに思えるかもしれませんが、本当はみんながやっていることだと思います。
その意識を持った行動はきっと周りから見てもおもしろいし、自分もやっていてたのしいもの。
意識を持ち続けるのは難しいかもしれませんが、努力する価値はきっとあります。
現に、おもしろい活動をしているひとはたくさんいますし。
上山に来たいと思うようになった理由のひとつに
「上山が自分でつくり上げていくということがやりやすい環境である」
ということがあります。
僕は経験も人脈も資金もなかったので、この環境があるということはとてもありがたいことでした。
まだまだ僕自身、形にできていないことだらけですが、この環境を存分に楽しんでやろうと思っています。
なんて少し大げさなことを書きましたが、自然に囲まれて過ごせているだけで僕はしあわせです。
この景色を守り、伝えていくこと
まずはこれをやっていきます。
以上、「社会はつくるものか、つくられるものか」ということについて少し考えてみました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。